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八雲簡易裁判所 昭和34年(ろ)17号 判決 1959年10月30日

被告人 安藤信次

明四四・三・二〇生 農業

溝口義春

昭三・一・一生 国鉄職員

森仁作

明四二・九・一一生 農業

長谷川五郞

明二九・二・一五生 農業

主文

被告人溝口義春を罰金三万円に、同森仁作を罰金二万円に、同長谷川五郎を罰金二千円に各処する。

被告人等において右罰金を完納することができないときは、金五百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

被告人長谷川五郎から金千円を追徴する。

被告人長谷川五郎に対し公職選挙法第二百五十二条所定の選挙権および被選挙権を有しない期間を三年に短縮する。

被告人安藤信次は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人溝口義春は昭和三十四年四月三十日施行の北海道山越郡八雲町議会議員の選挙に立候補することを決意し、被告人森仁作は右溝口の立候補の意思を熟知していたものであるが、被告人両名は共謀の上、溝口は自己に当選を得、森は溝口に当選を得しめる目的をもつて

(一)  いまだ右溝口の立候補の届出前である同月八日頃、同町字浜松六百五番地桜井寅太郎方において、被告人森から同人に対し、溝口のため投票取纏め等の選挙運動の依頼をなし、その報酬として現金三千円を供与し、

(二)  前同様立候補の届出前である同月十二日頃、同町字山越四百五十八番地落合勇方において、被告人森から同人に対し、前同趣旨の依頼をなし、その報酬として現金二千円を供与し、

(三)  前同様立候補の届出前である同日頃、同町字山越三百七十五番地安藤信次方において、被告人森から同人に対し、前同趣旨の依頼をなし、その報酬として現金二千円を供与すべき旨の申込をなし、

(四)  前同様立候補の届出前である同月十六日頃、同町字山越四十四番地長谷川五郎方附近道路において、被告人森から同人に対し、前同趣旨の依頼をなし、その報酬として現金千円を供与し、

もつて、各金銭の供与又は供与の申込をなすとともに各事前運動をなし、

第二、被告人長谷川五郎は、右第一(四)掲記の日時、場所において、前記選挙に立候補の決意を有している溝口義春の選挙運動者である森仁作から、右溝口に当選をえしめる目的をもつて投票取纏め等の選挙運動を依頼され、その報酬として供与されるものであることを知りながら、現金千円の供与を受け、

たものである。

(証拠)(略)

(法令の適用)

被告人溝口および被告人森の判示各金銭の供与および供与の申込は、公職選挙法第二百二十一条第一項第一号(罰金等臨時措置法第二条)、刑法第六十条に、判示各事前運動は公職選挙法第二百三十九条第一号第百二十九条(罰金等臨時措置法第二条)、刑法第六十条に各該当するところ、各金銭供与又は供与の申込と各事前運動は一個の行為で数個の罪名にふれる場合であるから刑法第五十四条第一項前段第十条を適用して重い前者の各罪の刑をもつて処断すべく、所定刑中、各罰金刑を選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十八条第二項により各罰金の合算額の範囲内において量刑すべきである。被告人長谷川の判示所為は公職選挙法第二百二十一条第一項第四号、第一号(罰金等臨時措置法第二条)に該当するので所定刑中罰金刑を選択し、所定金額の範囲内において量刑すべきである。よつて諸般の事情を考慮して、被告人溝口を罰金三万円に、被告人森を罰金二万円に、被告人長谷川を罰金二千円に各処することとし、また各換刑処分につき刑法第十八条を適用して主文のとおり定める。なお被告人長谷川が判示のごとく収受した金銭は費消し没収することができないので公職選挙法第二百二十四条によつて該価額を追徴するとともに、同被告人に対しては、情状により、同法第二百五十二条所定の選挙権および被選挙権を有しない期間を三年に短縮するのが相当である。

(被告人安藤信次の関係)

被告人安藤に対する公訴事実の要旨は、「被告人安藤は、昭和三十四年四月三十日施行の前記選挙に際し、同月十二日頃、同町字山越三百七十五番地自宅において、右選挙に立候補の決意を有している溝口義春の選挙運動者森仁作から、溝口に当選を得しめる目的で投票取纒め等の選挙運動を依頼され、その報酬として供与されることを知りながら現金二千円の供与を受けた。」というのである。ところで被告人安藤が右日時、場所において溝口義春の選挙運動者森仁作から、溝口のための投票取纒め等の選挙運動の報酬として現金二千円の供与の申込をうけたことは、前掲証拠により認めることができるから、以下検討すべき点は同被告人が右提供の金員を受取つたかどうかについてである。

さて右問題に関する主な積極証拠は、被告人森仁作および被告人安藤信次の公判前捜査官に対する各供述調書(森仁作の司法警察員に対する五月一日「司法警察員江口行雄に対する」、同月二日、同月五日付各供述調書および検察官に対する同月三日、同月五日「二通」、同月九日、同月十六日、同月十八日、同月十九日、同月二十一日付各供述調書、安藤信次の司法警察員に対する同月二日、同月三日「二通」、同月五日付各供述調書および検察官に対する同月四日「弁解録取書」同月十六日「二通」、同月十八日付各供述調書)であつて、これらを一読すると、一応被告人安藤は右提供にかかる金員を受領したもののように見える。しかしながら仔細に右各供述調書の内容などを点検すれば、次のような疑問も見出すことができる。すなわち、

(一)  被告人森は右各供述証書において昭和三十四年四月中、前記選挙に立候補の意思を有していた溝口義春のための選挙運動に買収すべく、長谷川五郎、桜井寅太郎、落合勇および安藤信次の四名に対し、右溝口から渡された金一万円を分配して各供与をなしたという趣旨の供述を重ねており、右長谷川以下三名の者に対する各金銭供与事件と右安藤に対する金銭供与事件とは全く同種の事案で、捜査官からも一括並行して取調をうけた関係にあることが明白である。然り、そうであるに拘らず、右各供述調書中、長谷川以下三名に対する関係の供述部分と被告人安藤に対する関係の供述部分を対照してみると、前者は、ほぼ前後一貫した内容を具備していて、まことに真実性に富む印象を与えるものであるに反して、後者には、往々重要な点に関して前後矛盾する供述が含まれ、或いは瞹昧不確実な供述部分などがあつて、高度の信憑力を認めがたい。

詳言すれば、右長谷川に対する金銭供与については、供与した日時の点につき、取調の当初では「四月五日頃」と供述していたが、のち直ちに「四月十六日頃」と訂正して以後変ることがなくまた落合に対する金銭供与については、これも日時の点で当初は「四月三、四日頃」と供述したが、後にいたつて「四月十二日頃」と訂正しているに止まり、そして右二点を別とすれば、被告人森の右長谷川以下三名えの各金銭供与事件についての供述部分は全く首尾一貫した内容を備えている。これと対比して、安藤信次に対する供与の件になると、まず「供与した日時」の点につき供述が二転三変するほか、問題の考察上特段の注意を要する、「供与の申込に対する被告人安藤の応答態度」の点について、当初の取調では、「安藤に対しては一度の申込によつて容易に金銭を受取つて貰うことができた。」かのように述べているが(記録四三〇丁裏、四三七丁裏、なお三七四丁の、森が選挙に関し安藤宅を訪れたのは二回だけである、との供述を参照。)、後の取調になると、「安藤に対して金銭供与の申込をしたのは二度であつて、一度目は四月初頃、同人方玄関で金を差出し受取つて貰うよう色々述べたが遂に目的を果さず、その後四月八、九日頃、同人に選挙運動責任者の役を頼むため訪問し、次いで四月十二、三日頃、三度目の訪問をして金二千円を提供したところ漸く受取つて貰うことができた。」という趣旨(五月十六日付供述調書記録三七五丁)に変化しているのは如何なる訳であろうか。その他森仁作は、長谷川以下三名の者に対しては金銭を裸かで渡し、安藤に対してのみは紙に包んで渡したというが(とくに記録三七三丁裏、三七四丁)、何故に安藤の関係でのみ左様な気遣いをしなければならなかつたかの事情が不明であることは(森仁作は当公廷では安藤に対しても裸かで提供したという、記録二八七丁裏)さておき、若し実際そのとおりにしたとすれば、この点の記憶は特に明瞭な筈であるのに、五月三日付検察官に対する供述調書(記録三三八丁)では、「安藤にだけはチリ紙に包んで渡したように思う。」などと瞹昧不確実に供述するのも特異の感を抱かしめる。

(二)  被告人安藤は、本件記録によると(イ)昭和三十四年五月二日夜(記録四五一丁六行目参照)の取調において、早々に自白し、以降同月五日まで自白を続けたが、その後これを否認し、次いで(ロ)同月十六日および十八日の取調にいたり再び自白している。かように自白と否認が相交錯しているのみならず、その供述内容を詳しく検討すると幾多の不自然、不合理な供述が散見される。

同被告人は右(イ)の取調で、「四月初頃、自宅の牛舎で森仁作から紙包みの現金を渡されたが、その中身も調べず、しかもこれを自宅のタンスか棚の上に置いたまま忘れ去つていた。」という趣旨を述べるが、その不自然なことは言うまでもない。(その後、タンス等の上に置いたことは虚偽であると述べた。記録二五四丁裏)次いで右(ロ)の取調になると、「四月十二日頃、牛舎と自宅の間で、森から紙包みを渡され、やはりその中身をあらためず、これをジャンバーのポケットに入れておき、四月三十日取出して開けてみたところ千円札二枚が在つた。それで、その一枚で溝口候補の当選祝に持参する二級酒一升を買い、その釣銭四百八十円と他の千円札一枚をそのまま右ポケットに入れておいた。」旨供述する。(記録二五〇丁から二五六丁まで)、そうであるとすれば、その後、右金千四百八十円はどの様になつたのであろうか。のみならず、いやしくも金員受領の点を正直に自白する以上その後右金員をタンスの上に置いた((イ)の供述)であろうと、はた又、ジャンバーのポケットに入れ、その一部で当選祝儀の酒を買つた((ロ)の供述)であろうと、さようなことは本件犯罪の成否には勿論、その犯情にさえ何等の影響もない事項であるから、被告人にして真実に右金員を受領してこれをジャンバーに入れておいたのであれば、右自白の当初から、そのとおりに述べ、何を苦しんで前記(イ)のごとき虚偽の申立をせねばならなかつたであろうか。(被告人は右(イ)のとおり信じて貰うため捜査官をして数回も自宅を訪ねて貰い、しかも取調官に対し「不幸にして受領した金が私宅から見つからないので、私の申立を信じて貰えないが、これ以上はどうしても思い出せないから、念のため今一度家族に聞いて貰いたい。」とまで述べている。(記録四五五丁裏参照。)してみれば金員の消息に関する右(ロ)の申立も虚偽でないかと推測されるのである。要するに被告人が金員の受領を認めながらも、これと不可分の関係にある該金員の消息についての供述が虚構であるとすれば、右自白は、内容上の裏付を欠く空虚な響を伝えるものでしかない。ただ一つ、次のような想定を立てることができる。被告人は右受領した金員で部落民その他に対し投票買収などの不正行為をなしたため新たな累を招くことを恐れて殊更右金員の消息につき虚偽を述べたのではないかと。しかし右金額の点を考えても(再買収資金に用うる程の額ではない)、また元々は給料取り出身で多人数の家族をもち地味な暮しを送る同人が(記録二四六丁裏、とくに一〇〇丁以下の同人の妻の供述参照)、たとえ本件選挙運動の責任者であつたにせよ、それは頼まれた末の引受役にすぎなく、かつ溝口候補に対して何程の義理もない同人が(溝口との関係につき記録二四八丁、責任者の引受につき同二五〇丁)、右金員をもつて再買収するため奔走したとは到底想像しえないのであつて、この想定も成立の可能性が甚だ少い。

(三)  さらに被告人安藤の右各自白には、受供与の日時および場所の点また森仁作から幾度供与の申込をうけたかの点などに関して、とうてい記憶違い又は供述の錯誤から生じたとは認めがたい顕著な供述の変更、矛盾を指摘することができるが、就中、金員受領の日時および供与申込の度数についてのそれは、既に見たとおり、被告人森の前掲各供述中にも全く似た現象を見出すのであつて、これが偶然の一致とみることをえないのは勿論であり、右は両々相俟つてその各信憑性を傷つけるに足るものである。

(四)  なお被告人安藤は当公廷で、当初捜査官に対して自白した原因につき「森から金銭を貰つたと認めたのは、捜査官から森仁作が金銭を渡したといつている、お前も貰つたといえば主任に話して家に帰してやると言われたがためである。」という旨を供述しているところ(記録四六丁裏、三〇五丁)、いわゆる「罰金で済まされる事件」においては被疑者が結果に対する安易な気持と他方否認すれば身柄拘束せられんことを恐れて、たやすく虚偽の自白をなしてしまうことが往々あることに徴すると、右供述を一がいに根拠薄弱となしえないことはいうまでもない。

同様に、被告人森は、右自白の原因につき、「捜査官から、安藤にも金を渡したであろうとの一点張りで責められたため、心ならずも虚偽のことを述べたのである。」と述べている。(記録二八六丁)

以上の諸点を考慮し、また本件各証拠に現われた一切の情況並びに当公廷における被告人両名の供述内容、態度などを合せ考えると、本節冒頭に掲げる公訴事実に対する証明は十分であるとはいいがたいので、刑事訴訟法第三百三十六条に則り、被告人安藤信次に対し無罪の言渡をなすべきものである。

よつて主文のとおり判決した。

(裁判官 渡部保夫)

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